"Take-It-Easy" English -気楽に英語学習-

ワールドトークで英会話講師をしているKoharuです!

【番外編】逃げ出したいあなたへ

今回は番外編です。

英語は出てきませんのでご了承ください。

 

夏休み明けが迫るなか、心がそわそわ、ざわざわしている人もいると思います。

休み明けは気分が憂鬱になるものですが、それだけじゃないっていう人もいるはず。

 

9月1日は、学生の自殺者数が1年で最も多い日です。

私も「死ぬほど辛いなら逃げて」と伝えたいです。

 

アメリカで過ごした幼少期は、幸い大した差別もなく平和でした。

大変だったのは日本に帰国した小4〜中2の間の4年間。

私が転入した学校は、一般学級は幼稚園・小学校からお受験してくるような国立で

家柄が良かったりお金持ちだったりしたので、

とても普通にいじめのある学校でした。

先生も「うちはエリート校だ」と言い、私のように帰国子女というだけで

転入して来た生徒は「地元に通えないようなバカだから入れたんだぞ」と言われました。

そういった環境だったので、生徒たちの間にも格差があり、

また学年の中でもクラスごとに格差があり、優越を常につけられていました。

 

私のクラスは帰国子女だけの少人数クラスで、最大でも12人だけでしたが

常にいじめがあって、どっちサイドについただの、次は誰を狙うだの

そんな話が小さなクラスの中でもひそひそと行われていました。

最初はいじめられている子をかばっていただけだったのが、

次第に自分に矛先が向けられるようになり、モノを隠されたり、

ありもしないような噂を流されたり、のけものにされたり…。

耐えかねて学校に行きたくないと思うようになりました。

 

「行きたくない」と言うと、当然親には「なんで?」と聞かれました。

でも、いじめられてるから、なんて言えませんでした。

学校に電話されるんじゃないか。

みんなにチクったと言われてエスカレートするんじゃないか。

想像すると怖くて言えず、ただ「行きたくない」と言い張りました。

玄関で吐いてしまうこともありました。

過呼吸を起こして全身が痺れることも何度もありました。

そんな私に親は「あんたが学校に行かないと近所の人に恥ずかしい」と言われ、

子供ながらに、私の親は助けてくれない、わかってくれないと絶望しました。

と同時に、親にそんな思いをさせている自分にも腹が立ちました。

 

どうしていじめられるようになったのか、どんなに考えてもわかりません。

いじめが良くないことだと思ったから、かばっただけなのに。

最初にいじめられていた子も、去年まではみんな仲が良かったのに。

悪いことをしたわけでも、目立っていたわけでもないのに。

「いじめは良くないよ」と言ってしまった自分が間違いだったのか。

色々考えたけど、やっぱりわからなくて、

わからないからこそ親にも先生にも話せないでいました。

 

そのままなんとなく小学校を卒業したものの、

隣接した中学校へ進学したので、状況はあまり変わらないまま。

最初にいじめられていた子は、中学は別のところを希望し、離れていきました。

その後、その子と連絡が取れることはありませんでした。

中学生になってから、その環境の変化や、新しく受験してきた生徒の影響もあり、

緊張や不安を日常的に感じるようになりました。

その頃、初めてパニック発作に襲われました。

 

電車通学だった私は、いつもの電車の中で

突然の動悸と不安と過呼吸に襲われ、周りの大人に助けを求めることもできず、

死にそうな思いで次の停車駅までこらえてました。

ホームのベンチで休むと、何事もなかったかのように落ち着いて、

まるで悪い夢でも見ていたかのようでした。

冷静になってから公衆電話で親に電話をし、折り返して下り電車に乗り換えて

地元の駅のベンチで親の迎えを待っていました。

隣におばさんが腰をかけた瞬間に、またさっきの感覚が戻ってきて

ひどい過呼吸と苦しさと恐怖と恥ずかしさとでめまいを起こしました。

おばさんが気を使って交番にお巡りさんを呼びに言ってくれましたが、

「気にしないでください!ほおっておいてください!」と何度も叫んでしまいました。

結局、救急車を呼ばれて、親の車が見えてきたところで乗せられて

そのまま総合病院に救急搬送されました。

 

処置室に運び込まれて、指に心拍数の器具をはめられ、

点滴を打たれながら、茶色の紙袋で口を覆われて「ゆっくり呼吸してねー」と

看護師さんに声をかけられながら、

とんでもないことになってしまった。

あと少し我慢できていれば大丈夫だったのに。

また親に迷惑をかけてしまった。

そんなことばかり考えていました。

 

病室に移されて、母親と対面したときには、

どうにも恥ずかしいのと、申し訳のない気持ちでいっぱいでした。

「なんだったの、どうしたの」と聞かれても答えられなかったし、

またパニック障害なんて名前も知られていなかった時代で、診断もつきませんでした。

そのうちに学校でも、電車でも、塾でも、家にいても発作を起こすようになりました。

大人になって聞いた話ですが、当時処方されていた薬はただの胃薬で

「娘さんはきっと心配性なだけだから」と、私は騙されて飲まされていたそうです。

 

中学2年のとき、アメリカに戻ることが決まり、家族で日本を離れました。

その頃に随分落ち着いていたのですが、

17歳のとき、フランス語の授業中に発作を起こしたことがきっかけで、

学校を半年間休学して、休養に入りました。

そこで初めて「あなたはパニック障害という病気だよ」と診断されました。

変な性格じゃないよ、きちんと薬があって治せるんだよ。

そう言われたときに、なんだかとてもほっとしたような、

でも残念なような、複雑な気持ちになりました。

 

母は昔の考え方をする人で「心が弱いだけ」と言い張り、病気を認めませんでした。

でも父は「今のうちに治しなさい、アメリカの方が精神医学は進んでるから」と

会社の合間に病院に連れて行ったくれたり、母を説得してくれたり、

いいカウンセラーさんを探してくれたりしました。

 

私が学校を休んだことで、年の離れた英語の苦手な弟は

「どうしてお姉ちゃんだけ休めるの!」と両親を困らせたりもしました。

そのことで両親が喧嘩をするようになり、家族が崩壊しかけていたとき、

「全部の原因は私なんだ」と考えるようになりました。

その頃から、とにかく死にたい、消えてしまいたいと考えるようになり、

自傷行為を繰り返していました。

 

何度も何度も自分を痛めつけて、両親とも衝突して、

薬の副作用に悩んで、学校への恐怖心とも戦って。

そうして過ごした半年間は地獄のようでした。

それでもお医者さんやカウンセラーさんは、いつでも私の話を聞いてくれて、

「大丈夫、あなたは間違っていない。変でもない。」と肯定してくれて、

不安になったときの対処法や、心の落ち着かせ方を教えてくれました。

そして何より、当時の友人や彼氏が支えてくれました。

親に話せないことも、友人や彼氏には話せて、等身大でいられて、

同じ目線で受け止めてもらえたことが、とても励みになりました。

 

半年後、学校に戻るときにも、学校側が逃げ場を設けてくれたり、

とても理解があったことにも助けられました。

演劇部のみんなや、その部室も、私には特別な場所でした。

徐々に復学し、残りの2年間は私の人生で一番楽しかった思い出です。

「あなたはここにいていいんだよ。」

そうやってみんなが受け入れてくれたことが、すごく助けになりました。

 

高校卒業後は、「自立できないとだめなんだ」と思い、

東京の大学を受験し、単身で日本に帰国しました。

一人暮らしは大変でしたが、誰にも迷惑をかけない環境が好きでした。

17歳で診断を受けてからずっと薬を服用していますが、

それでも症状に波があり、悪くなるとバイトも学校もサークルも行けなくなりました。

4年で卒業できず、留年を決めた矢先、

ついに一歩も電車に乗れなくなりました。

過呼吸とめまいと吐き気をこらえ、ふらふらで家に帰っては号泣しました。

23歳を過ぎてもまったく自立できない、弱くて情けない気持ちでした。

結局、私は限界を感じ、親に相談した上で大学を中退しました。

 

先生にも、親にも、友人にも

「復学できそうなら戻ってこい」と言われたけど、もう限界でした。

頑張ることを、もう諦めたくて仕方なかったです。

当然バイトもできず、全面的に親に経済的支援をしてもらい、

食事も受け付けなくなり、病院でビタミン注射を打ってもらいながら過ごしました。

それでも祖母のいる地元に戻るのは、迷惑をかけることは、とても嫌で

わがままを言って一人暮らしを継続しました。

 

その頃に、ワールドトークを紹介され、

自宅にいながら少しでもお金を稼ぐ方法を見つけたことで気が楽になっていきました。

そして夫と結婚し、それが親孝行にもなり、

更に一度流産してしまったことで、

せっかくの人生をがんばってみようと思えるようになりました。

 

 

私は現在31歳ですが、逃げることの多い人生でした。

学校から、家族から、病気から、何度も何度も逃げました。

でも、逃げてきて良かった、と今では思えています。

苦しいことや辛いことから逃げてきたから、今の私がいます。

 

もちろん、自分の嫌なところはたくさんあります。

生活もそれほど豊かではないです。

お金持ちじゃないし、偉くもないし、しんどいこともあります。

むしろ上手くいかないことばかりで、今も病気は抱えたままです。

でも、家族や友人やペットとの小さな幸せがあります。

仕事をするなかでの小さな喜びも感じます。

これを味わえているのは、色んなことから逃げられたからだと思います。

 

逃げるなという人もいるけど、決めるのは自分です。

辛かったら逃げて良いんです。

それもまた選択肢です。

逃げることだって勇気がいるんです。

簡単でもないし、ずるくもないです。

その先にまた違った未来があります。

たくさん考えて、たくさんがんばってきた自分を褒めてください。

そしてお休みさせてあげてください。

力を蓄えたら、きっとまた動けるようになります。

その時までゆっくり休んでください。

逃げても良いことを、忘れないでください。